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1950年代半ばは南関東のダートレースで実力をつけた馬たちが中央競馬に挑戦し結果を出していました。日本におけるダートレースの歴史は南関東、特に大井競馬から始まった落ちっても過言ではないでしょう。
事実、オーストラリアから輸入したミッドファームは1955年に中央競馬に移籍し、翌年の秋の天皇賞でファイナルスコアやヒデホマレを押さえて優勝。同年の第1回中山グランプリ(現有馬記念)にも出走して、メイヂヒカリ、キタノオーに続いて3着と好走しました。
ここで、ミッドファームについて少々お伝えしましょう。
成績は、地方が33戦7勝に対し中央では18戦11勝。これだけ見ると、ダートよりも芝向きだったのかもしれません。父はミッドストリームといってオーストラリアのリーディングサイヤーに3回も君臨した馬。その父のブランドフォードはイギリスの名馬。自身は体質が弱く4戦3勝で現役を引退しましたが産駒成績がバツグン!何しろエプソムダービー馬を4頭も送り出しているのだから、ミッドファームがどれだけ期待されていた馬なのか想像に難くないところでしょう。
このようにミッドファームが活躍したことから、能力のある馬なら芝でもダートでも活躍できるということが証明されたと言えます。
当時、春の鞍や秋の鞍を勝った馬はダートレースの王者として考えられていました。賞金の高さも手伝って、ダートレースに合う馬や血統が重んじられるようになり、そんな馬が見つかると「とりあえず南関東で走らそか」という風潮になってきました。
そして、その地域やコースに合う血統がドンドン発展していき、他の地方競馬の地域でも同じことが起こっていくことになります。
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