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1955年に大井競馬の重賞体系が整備されました。もっとも、南関東の一流馬が中央競馬にチャレンジし、好成績を収めることで、その重賞体系の整備に迫られたことも大きな要因でしょう。そのことが、南関東のレベルの高さを全国にとどろかせることになったのは必然的な結果でした。
その重賞体系が整備された頃の大レースと言えば「春の鞍」、「秋の鞍」でした。春の鞍は1964年より「東京都ダービー」と名称が変更となり、1966年から「東京ダービー」の名称となり現在に至り、南関東3冠レースの第2戦目となっています。
秋の鞍の第1回目はダート2600mで施行されました。、現在の東京ダービーである「春の鞍」と並ぶ大井競馬場の大レースと位置付けられていて、1962年にはダート3000mに距離が延長延長、そして1964年に「東京大賞典」と名称を変更し、それにともない開催日を11月上旬から12月末に変更、1978年に新設された帝王賞と共に地方競馬の2大競走として定着していきました。
当時の、春の鞍・秋の鞍の1着賞金は1000万円。同時期の中央競馬の東京優駿(日本ダービー)の1着賞金が2000万円、天皇賞が1500万円だったことを考えると、創設当初から中央競馬をかなり意識しての賞金設定だったようです。そんな高額賞金だから、中央競馬にも負けないレースでもあったわけです。
他の重賞レースは、八王子記念(現大井記念)、ワード賞(現大井金盃)、羽田盃(南関東3冠レース第1弾)などが創設されました。特にワード賞は後年に「大井金盃」と名称が変更されアングロアラブの大レースとなりました。
そして、南関東競馬出身馬の活躍が始まります。まず、川崎競馬のネンタカラが中央競馬に移籍し、ゴールデンウェーブと改名。1954年の第21回東京優駿を勝ちました。また、オーストラリアから輸入したオパーオーキッドは、同年の秋に中央競馬に移籍し秋の天皇賞を勝つなど、南関東の馬の名は全国的に知れ渡ることとなりました。
次章では、大井競馬出身の天皇賞馬、ミッドファームを中心としたお話です。
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