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敗戦後、日本に進駐してきたのはアメリカとオーストラリア。幸いなことに両国は競馬に深く携わっていることもあって、軍馬の養成がほどなく認められ、1948年に新競馬法による中央競馬と地方競馬が発足することになります。
1950年5月に開場した大井競馬場ですが、当時は半血種や高齢馬など言い方は悪いが「寄せ集め」の馬によって競馬が行われていました。先にもお伝えしたとおり、開場当初は競走馬が不足しており、連日の連闘などという劣悪な環境でレースが行われていたのです。
同年の9月には日本で初のゴール写真判定装置を設置するなど、集客に労を惜しまない姿は商売人魂といえるでしょう。
さて、それでも競走馬不足が深刻な大井競馬は、1952年4月にオーストラリアから30頭の牝馬を輸入しました。オーストラリアは競馬の盛んな国ではありますが、なぜ芝向きであるはずの豪サラを輸入したのかは分かりません。しかし、結果としてこれがよい方向に動き出します。
1954年11月にオパールオーキッドが秋の天皇賞優勝。
1956年11月にミッドファームが秋の天皇賞優勝。
これってスゴイことです!本格的に開場してから数年のうちに中央競馬のGIを勝つのですから。もう1頭ファストロという馬もいました。中央競馬の春の天皇賞で2年連続3着になるなど健闘しました。その後、南関東に戻ったファストロは7歳まで現役を続け大活躍したそうです。
戦前戦後の大井競馬場へ 南関東の発展へ |